風景写真はふつう二つのことを約束する。それがどれくらいの大きさか、そしてどこに立てば見えるか。クローズアップはその両方を引っ込める。十センチ先の濡れた石は、飛行機から見下ろした海岸線のように見え、葉の縁は稜線のように見える。画面の中に決着をつけてくれるものが一つもないので、目は位置を特定するのをやめ、かたちと重さと色を読みはじめる。
これはレンズの事故ではなく、選択だ。寄れば被写界深度は数ミリまで痩せる。だから撮る側は、どの一枚の面にだけピントを許すかを決め、その奥はすべて溶かしてしまう。残りの仕事は画面の縁がやる——被写体を言いかけたところで断ち切る。欠けている部分がそのまま主題になる。隠している写真と、ただ触れずにおく写真は、別のものだ。
デスクトップに置くと、これが妙に扱いやすい。タスクバーと言い争う水平線がなく、認識されたがるランドマークもなく、アイコンに覆われて困る中心もない。フォルダをどこに置いても台無しにならないのは、どの部分も同じ静かさで等しくいいからだ。数か月たってもそれが何だったか分からないままかもしれないが、分からないことはもう問題ではなくなっている。